新型コロナウイルスのせいでにわかに自転車通勤者が増えたためなのか、それとも別の理由からか。最近、社会的に自転車乗りへの風当たりが一層強まっているような気がします…、そんな印象(笑)。
「自転車が悪い!(怒)」
「自動車がもっと悪い!(怒)」
「いやいや、歩行者だって悪い!(怒)」
「オートバイのことも忘れないで!(泣)」
…と、インターネット界隈を見ていると、そんな話が増えてきたような気がして(印象)、なんだかなぁ…っと、上から目線で俯瞰して思っている私です(笑)。
そして、たぶんそれを煽ってシメシメと思っているのは、マスメディアかもしれない?(印象)
だけどね。本質的に一つの視点が欠けているような気がして…。だってね、私は自転車乗るの好きですけど、道路も歩く歩行者ですし、自動車にも乗るドライバーですけど? こういう人って珍しくないでしょ?
自転車 vs 自動車 vs 歩行者…そんなバトルって、多重人格ですか貴方は???
オートバイ? 知らんがな!(笑)
こんなバトルは、どこまで行っても不毛だと思うのです。対立と嫌悪を生み出すばかりで、進歩がありません。
この問題を解決するための建設的なやり方は、システムの改善だと思っている私です。
■金稼ぎのためのマスコミ情報は適度に聞き流した方がいいんじゃない?:
例えば、こちらのネット記事。
そうかな?この文章を読むと、ますます通行帯の整備が急務だと思えるのですけど?
— Kirdina (@ordinaM3user) 2020年6月17日
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通行帯の整備だけではどうにもならない! 自転車対クルマの事故が減らないワケ #SmartNews https://t.co/8m35JVzknM
率直に申しまして、これは酷い。「論理歪曲で「自転車が悪い」との印象をドライバーに与え、対立を煽ってシメシメしている最低の記事」…だと思う私です。
この記事の要旨は、こんな感じです。
「自転車と自動車の事故は、出会い頭が多い。自転車と歩行者の事故も、出会い頭が多い。つまり、自転車は交差点などで十分に注意、徐行、一時停止していない。自転車は車両としての意識が低い。それが事故の原因だ。だから自転車通行帯を整備したって無駄だ。」
ね? めちゃくちゃでしょ???(苦笑)こんな記事を信じてしまった人がいたとしたら、本当に哀れだと思うのです。「騙されてますよ」…って優しく伝えてあげたい。
この記事を書いた御堀直嗣さん、ご意見お待ちしております!
マスメディアというのは、営利を目的とした団体です。これは別に営利目的が悪いと言っているわけではなくて、資本主義社会の宿命なのです。そこを理解した上で、私たちは付き合っていかなくちゃなりませんよね。
マスメディアが手っ取り早く稼ぐ方法の一つが、「対立を煽る」ことです。炎上させて盛り上げれば、注目が集まり、情報が売れます。壮大なマッチポンプです。情報の武器商人、ネット世界の死の商人です。そんなマスメディアの情報を真に受けちゃいけません。
だから、前述の記事を書いた御堀直嗣さんを責めるつもりは、私にはありません。彼だって、自分が書いた記事がウケなければ食べていけないのです。私のような趣味で書いてるだけのブロガーとは違うのですから、仕方ないことなのです。
■そもそも分類することがおかしくないですか?:
前述のとおり、私は自転車に乗るのが好きですけど、普通に道路を歩きますし、自動車も持っていて良く乗ります。こんなの普通です。私は珍しい人じゃありませんよね。
だから、この問題を考えるにあたって、
- 自転車乗り(自転車愛用者、サイクリストなど)
- ドライバー
- 歩行者
…の3つを分けて考えることが、そもそも変なのだと思うのです。ドライバーは歩行者だし、自転車乗りはドライバーだし、歩行者は自転車乗りです。違います?
オートバイ? 知らんがな!(笑)
たぶん、この社会に遵法意識の低い人、マナーの悪い人は一定数いるのでしょう。そして、交通の現場で何か問題が起きたとき、そんな人が自動車に乗っていたか、自転車に乗っていたか、歩いていたか…という、ただそれだけの違いなんじゃないでしょうか。自動車に乗る時は立派な安全運転の人が、自転車に乗ったとたんに人格が変わって危険運転を始める…なんてこと、私にはあまり想像できません。
■誰かが悪いのではなく、危険なシステムが悪い:
だから、「自転車乗りが悪い」、「ドライバーが悪い」、「歩行者が悪い」…といった議論は不毛で無意味だと思うのです。必要なのは、「誰がどの方法を選んでも安全に通行できる交通システム」…だと思いますけど、どうでしょう? 頭を使うなら、誰かを攻撃するためではなく、誰もが幸せになれることを考えるために使いましょ?
では、現在の日本の交通を考えたときの「危険なシステム」とは何でしょう? 私が思いつく限りで、ちょっと挙げてみました。たぶん他にも色々ありますよね。
<危険なシステム1>あまりにも不足した交通教育:
交通というのは現代社会で暮らすにあたって必須であるにも関わらず、義務教育の課程でこれをきちんと習うことがありませんよね。それって変じゃないですか? そもそもルールを習う機会が無かったわけですから、ルールを知らない人(徒歩・自転車・自動車を問わない)が道路上にいても何の不思議もないわけです。違いますか?
ですから、義務教育の課程の中に交通ルールをもっとしっかり組み込むことは、必須だと思っています。ただ単に「手を挙げて横断歩道を渡りましょう」…とか、そういうレベルの話じゃなくて、中学校を卒業する頃までには、現代日本の交通システムがどのように成り立っているのかを全体的に理解できる教育が必要です。
自動車学校などで教わる自動車の交通ルールは、ドライバーだけに必要な物ではありません。自動車がどういうルールに則って動いているのかを知ることは、歩行者が安全に道路を歩くためにも必要なことです。自転車の交通ルールを知らないドライバーがいかに多いか…、たぶんそういうドライバーは「自転車の交通ルールを知らない」ことを自覚すらしておりません。何を隠そう、かつての私がそうでした。自転車がどういうルールで動いているかを知ることは、安全なドライブのために必須の知識です。一方、もし自転車の交通ルールを知らないドライバーが自転車に乗ったら…、それは危険な自転車になるに違いありませんよね。
興味深いツイート。このリプを丁寧に見ていくと、自動車運転免許を持っている人でさえ、自転車の交通ルールを知らない人が多くいるのがわかる。 https://t.co/A8dcTbrN6r
— Kirdina (@ordinaM3user) 2020年6月9日
したがって、理想を言うなら、中学卒業時には、”あとは実技だけで運転免許が取れる”…くらいの交通教育があっても良いと私は思いますけど、どうでしょう?
そうなれば、ルール無視…というかルール無知の危険な自転車も、きっと減ることでしょう。
<危険なシステム2>曖昧にされたままの自転車の立場:
自転車に関する日本の交通政策は右往左往しております。昔は歩道走行が推奨されてきましたけど、近年になって突然に「自転車は車道」…と言い出しましたね。しかし、それまで自転車を歩道に押しやって自動車のために良いように作られてきた道路システム(構造・ルールを含む)は、あまり変わっていません。これでは、自転車がらみで危険な事態が発生しても、さもありなん。何の不思議もありません。
自転車はこんなに便利で環境に優しく健康に良く経済的な乗り物であるにも関わらず、歩道上では歩行者に気を使って日陰者として走り、車道上では高出力の自動車に混じって命の危険を感じながら端っこを走らなければなりません。自転車の持っている素晴らしい潜在的可能性を大きく損なわせているのが、現代日本の道路環境なのです。これは大きな社会的無駄です。もっと自転車の能力を活かせる社会にした方が、みんなが幸せになれると思います。
ルールを破ることは決して良いことではないのですけど、そのルールによって徹底的に押さえつけられているのが現代日本の自転車事情なのです。自転車に乗った時にルールを破る人が現れる背景には、きっとそういう(過度な抑圧という)事情もあるのだろうと想像します。
ですから、自動車のための車道を、自転車にも使い易い車道に改めていくことが必要だと思います。これまで「自動車:自転車=9:1」だった道路を、「自動車:自転車=5:5」にしようという話ですから、自動車に乗る際にはこれまでより不便な道路となることでしょうけど、自転車を使う際には使い易い道路になり、その結果として自動車と自転車の事故も減ることでしょう。健康や環境問題のことなども総合的に考えると、きっとその方が幸せな社会になることでしょう。
Japanese translation
— ろぜつ@自転車 (@rzt_ashr) 2020年6月15日
“現在のネーデルラントの素晴らしい自転車ネットワークは昔からこの国の文化の一部だったと誰もが思っているが、事実は全く違う。
この動画は、今日のネーデルラントが誇るインフラが実現するまでにどんな困難な道のりがあったかを物語っている。” https://t.co/Oe09XahKGU
程よく自動車に不便な道の方が安全なんですね。
— Kirdina (@ordinaM3user) 2020年6月15日
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「停止線の位置変わりました」理由は交差点のコンパクト化…小さくするとなぜ安全に? #SmartNews https://t.co/CCV1mleENj
何よりも急務と私が考えるのは、「他と物理的に完全分離された自転車専用レーンの整備」です。ただの路上の青ペイントのことではありません。「物理的に完全分離」です。「自転車は自転車専用レーンを走るもの」…というルールが一般的になれば、自転車を利用する際には、「自転車は軽車両」…という意識が自然と芽生えることでしょう。そうなれば、きっと道路は安全になるはずですよね、御堀直嗣さん?(笑) ほら、通行帯の整備って大事だよね?
現代日本の自転車事情において、自転車を利用する際に「自転車は車両である」という意識が薄くなる人がいる理由は、思うに、「歩道利用が中途半端に認められているから」…だと思うのです。いつも歩いている道を自転車で走ったら、速くて楽チン! だから、徒歩の延長線上に自転車を認識してしまう。そこを根本的に改めて、自動車とも歩行者とも完全に分離された自転車のための安全な走行空間を整備する必要があると思うのです。御堀直嗣さん、どう思われますか? しつこい(笑)??
Lovely Dutch protected intersection in Salt Lake City, Utah. Look how safe it is to cross as a pedestrian or cyclist.
— Lior Steinberg (@LiorSteinberg) June 16, 2020
Using tactical urbanism, it's easy and cheap. Anyone else follows?
Full vid: https://t.co/n4ejkhxRrO pic.twitter.com/evqoL99G4m
左折レーンが複数ある交差点で自転車はどうすれば良いの?という話題が定期的に浮上しますが、道路設計が根本的に間違っていることも、その解決策も既に分かっているんですよね。(写真はユトレヒトのある交差点。自転車道(赤)、歩道(薄灰)、交通島・縁石(灰)を筆者が強調表示) pic.twitter.com/EAuydgZimg
— ろぜつ@自転車 (@rzt_ashr) June 16, 2020
■結語:相互理解のために
相手のことを理解するって、非常に難しいことです。
幸いにして、私は自転車に乗るのが好きで、自転車に乗る回数以上に自動車にも乗り、普通に歩行者として道路を歩きますので、3つの立場を体験できます。本当に幸せなことです。
ん? オートバイ? 知らんがな!(笑)
しかし、もちろん自動車運転免許を持ってない人もいるでしょうし、自転車なんて持ってない人もいることと思います。そうなると、なかなか相手のことを理解するのは難しいかもしれませんね。
自動車運転免許を持っていない人に、「ちょっと自動車乗ってみて」…と言ってみたところで、大きなコストと時間が必要になりますので簡単にはできません。しかし、普段から自動車ばかり使っていて自転車に乗らない人でも、安ければ2万円ほどの支出で自転車に乗ることはできますね。この新型コロナウイルスで自転車が見直されている昨今、ちょっと自転車に乗ってみたら、物事の見え方が変わることと思いますよ。実際、私がそうでしたから。
そんなわけで、便利で環境に優しく健康に良く経済的な乗り物である自転車は、人類社会の未来にとって必要不可欠な乗り物だと(ちょっと大げさですけど)私は思っておりますので、その安全な利用のための環境整備のため、自転車について多くの人が理解してくれるよう、微力ながら今後もこのような駄ブログを続けていきたいと思っております。
こんなお堅い話ばかりじゃ面白くないですので、なるべく写真いっぱいの楽しいブログにしていきたいのですけど、たまにはこんな記事も良いですよね?
最後までお読みいただき、ありがとうございます。